日本の公的年金における繰下げ受給制度の調査
制度の概要と沿革
標準支給開始年齢と繰下げとは何か
-
原則:65歳から支給 – 現行の公的年金(老齢基礎年金と老齢厚生年金)は原則65歳で受給権が発生するkigyou-keiei.jp。個々の加入履歴や年齢によっては特別支給の老齢厚生年金(60~64歳の報酬比例部分)を受けられる世代もあるが、2025年頃には男性の特別支給が終了し、女性も2030年頃には終了する見込みinvest-concierge.com。
-
繰下げ受給制度(支給繰下げ) – 65歳時点で受給を開始せず、66歳以降に任意の時点で請求する仕組み。月単位で繰り下げた期間に応じて年金額が増える。繰下げ請求をした時点から支給が始まり、増額率は生涯固定kigyou-keiei.jp。
2022年の改正:上限年齢を70歳から75歳へ
2022年4月の年金制度改正により、繰下げ受給の選択可能年齢の上限が70歳から75歳に延長されたnenkin.go.jp。これにより最大10年間(120か月)繰下げができ、66~75歳の任意の月に請求できるようになった。従来通り、昭和27年4月1日(1952年)以前生まれの人や2017年3月31日以前に受給権が発生している人は上限年齢が70歳のままであるため、最大増額率は42%となるnenkin.go.jp。
繰下げ増額率の計算と早見表
-
増額率の式 – 65歳に達した月から繰下げ申出月の前月までの月数×0.7%で計算する。最大84%(10年=120か月繰下げた場合)nenkin.go.jp。増額分は老齢基礎年金と老齢厚生年金にそれぞれ乗じられ、終生続くnenkin.go.jp。
-
増額率の早見表(昭和27年4月2日以降生まれの人)nenkin.go.jp。年齢と増額率を下表にまとめた。
| 請求時の年齢 | 増額率 | 備考 |
|---|---|---|
| 66歳 | +8.4 % | 1年間(12か月)繰下げた場合 |
| 67歳 | +16.8 % | 2年間繰下げ |
| 68歳 | +25.2 % | 3年間繰下げ |
| 69歳 | +33.6 % | 4年間繰下げ |
| 70歳 | +42.0 % | 5年間繰下げ(旧上限) |
| 71歳 | +50.4 % | 6年間繰下げ |
| 72歳 | +58.8 % | 7年間繰下げ |
| 73歳 | +67.2 % | 8年間繰下げ |
| 74歳 | +75.6 % | 9年間繰下げ |
| 75歳 | +84.0 % | 10年間繰下げ(新上限) |
増額率は月単位で計算されるため、上表は概算である。繰下げ期間が5年を超えると年単位の目安として「5年超は88%」などの早見表も提示されているnenkin.go.jp。
遺族厚生年金受給権者への新しいルール(2028年施行)
現行制度では66歳になる前に遺族年金や障害年金を受ける権利がある人は、老齢年金の繰下げ受給ができないnenkin.go.jp。また、繰下げ待機中に遺族年金等の受給権が発生すると、その時点で増額率が固定され、それ以上の増加が見込めないnenkin.go.jp。このため、遺族厚生年金を受け取ると実際に年金が支給されなくても繰下げが利用できない問題があった。
2025年に成立した年金改正法により、令和10年(2028年)4月1日施行で以下のように見直されるkigyou-keiei.jp:
-
老齢基礎年金 – 遺族厚生年金を請求しているかどうかにかかわらず繰下げ請求が可能になるnenkin.go.jp。
-
老齢厚生年金 – 遺族厚生年金の請求をしていない場合に限り繰下げ請求ができるようになるnenkin.go.jp。
つまり、遺族厚生年金の受給権があっても、本人が遺族厚生年金を請求しなければ自分の老齢厚生年金を繰下げられるようになる。老齢基礎年金は遺族年金請求の有無に関係なく繰下げが可能になるため、2028年以降は選択肢が増える。
繰下げ受給の手続きと必要書類
手続きの流れ
-
受給権が生じる65歳時点での選択 – 特別支給の老齢厚生年金を受けている世代には、65歳到達時に日本年金機構から届くはがきに「老齢基礎年金のみ繰下げ」「老齢厚生年金のみ繰下げ」の欄があり、希望する方に○を付けて返送することで繰下げ待機に入れるsyakaihoken.jp。どちらも繰下げたい場合ははがきを返送しない。
-
繰下げ中の待機 – 65歳で年金請求を行わず繰下げを選ぶと、年金は支給されない。65歳到達月の末日までに繰下げ希望を届け出ないと通常通り65歳から支給されるsyakaihoken.jp。繰下げ期間中は加給年金や振替加算は支給されないnenkin.go.jp。
-
繰下げ請求書の提出 – 66歳以降で受給を開始したい月が決まったら、最寄りの年金事務所または街角の年金相談センターに「老齢基礎・厚生年金裁定請求書/支給繰下げ請求書(様式第235‑1号)」を提出するnenkin.go.jp。初めて老齢年金を請求する場合は「年金請求書(国民年金・厚生年金保険 老齢給付)様式第101号」を併せて提出するsyakaihoken.jp。請求時点の年齢・月数に応じて増額率が確定するので、時期を慎重に選ぶ必要があるnenkin.go.jp。既に年金を受給している人が増額を希望する場合には繰下げは利用できない。
-
繰下げみなし増額制度 – 70歳を過ぎてから65歳時の年金を遡って請求する場合、請求の5年前の時点で繰下げ申出があったものとみなして増額された年金を一括で受け取る特例があるnenkin.go.jp。ただし、80歳以後の請求や障害年金・遺族年金の受給権を5年以上前から有している場合には適用されないnenkin.go.jp。医療保険料や税負担に影響する場合があるので事前に相談が必要。
必要書類と持参物
手続きに必要な主な書類は次の通り。
| 対象者 | 提出書類 | 備考 |
|---|---|---|
| 老齢年金を既に受けている/特別支給の老齢厚生年金を受けている人 | 「老齢基礎・厚生年金裁定請求書/支給繰下げ請求書」(様式第235‑1号)nenkin.go.jp | 繰下げ希望の年金種別(基礎か厚生か両方か)を選び、66歳以降に希望月の前までに提出。 |
| 65歳時に初めて老齢年金を請求する人 | 「年金請求書(国民年金・厚生年金保険 老齢給付)様式第101号」と「老齢年金支給繰下げ請求に関する確認票」syakaihoken.jp | 65歳以降に繰下げを希望する場合、請求書と確認票を提出して繰下げ待機状態にする。 |
| 地方公務員等で共済年金を受給できる人 | 上記に加え、共済組合等の年金も同時に繰下げる必要があるnenkin.go.jp | 公務員の場合は共済組合へも支給停止申出書が必要となるpmac.shigaku.go.jp。 |
その他、本人確認書類(運転免許証やマイナンバーカードなど)、振込先金融機関の通帳、印鑑などが必要である。詳細は年金事務所で確認する。
繰下げ受給の利点とデメリット
利点(メリット)
-
月額が大きく増えるため長寿リスクに備えられる – 1か月繰下げるごとに0.7%増え、10年間繰下げると最大84%増となるnenkin.go.jp。例えば2020年度の平均的な夫婦世帯の年金(老齢基礎+老齢厚生)が月額約16万円とすると、70歳まで5年間繰下げると約42%増の22万7,200円、75歳まで繰下げれば約84%増の29万4,400円になるmanekatsu.com。
-
終生続く増額 – 繰下げにより増額された年金は生涯支給され、物価や賃金の改定率に応じて調整される。長寿化が進む中、将来の生活資金を厚くできる点が大きな利点。
-
税制面や介護保険料への影響が必ずしもネガティブではない – 年金受給開始が遅れれば、当初の数年間は年金所得がないため税負担や国民健康保険料が抑えられる。高所得者にとっては繰下げによる増額分が相続財産にはならないため、納税・節税面のメリットを得る可能性があると金融機関の解説記事が指摘しているresonabank.co.jp。ただし、増額後は収入が増えるため税負担も増える可能性がある(後述)。
-
70歳以降も働く人にとって相性が良い – 65歳以降に働き続ける場合、在職老齢年金制度により老齢厚生年金の一部が支給停止となるが、繰下げ期間中は厚生年金が支給されないため支給停止の影響を受けない。支給停止額は繰下げ増額の対象には含まれないため、65歳以降も働く人は繰下げを活用して将来の年金額を増やすことができるnenkin.go.jp。2026年4月から在職老齢年金制度の基準額が月62万円に引き上げられる予定で、働きながらでも年金が減らされにくくなるが、それでも収入が高い人は繰下げを利用して増額する選択肢があるlimo.media。
デメリットとリスク
-
受給開始が遅れるため、短命の場合は総受給額が減る – 繰下げ受給の「損益分岐点」は、65歳から受給した場合と比較して70歳繰下げなら概ね81歳前後、75歳繰下げなら86歳前後であると複数のファイナンシャルプランナーが試算しているmanekatsu.com。70歳と75歳の比較では約91歳前後が分岐とされるmanekatsu.com。平均寿命を大幅に上回る長寿が見込めない場合は総受給額が減る可能性が大きい。
-
繰下げ期間中は無年金になるため、生活費を自己資金で賄う必要がある – 繰下げ中は老齢年金が支払われない。日本年金機構から66歳~74歳の人に対して「繰下げ見込額のお知らせ」が送られるが、申請しない限り支給されないnenkin.go.jp。生活費を預貯金や退職金などで賄えるかが重要で、具体的には5年繰下げる場合に1,000万円程度の生活資金を準備する事例も紹介されているmoneiro.jp。健康状態の悪化や介護費用が高齢になるほど増えることも考慮すべきprestige1.jp。
-
加給年金や振替加算が増えず、繰下げ待機中は受け取れない – 老齢厚生年金に加算される加給年金(家族手当のような制度)と振替加算は繰下げ増額の対象外であり、繰下げ期間中は支給されないnenkin.go.jp。加給年金を受け取れる配偶者がいる場合は早めに受給すると年間約40万円の加算を受けられるが、繰下げで増額される年金と比較して検討する必要があるinvest-concierge.com。
-
他の公的年金との重複制限 – 65歳時点または66歳の誕生日までに障害年金・遺族年金の受給権があると繰下げ申出ができないnenkin.go.jp。繰下げ待機中に配偶者が亡くなり遺族年金を受ける権利が発生した場合、その時点で増額率が固定され、それ以上増えないnenkin.go.jp。2028年改正によって老齢基礎年金は請求の有無に関係なく繰下げ可能になり、老齢厚生年金も遺族厚生年金を請求しない限り繰下げできるようになるが、請求開始タイミングの選択が重要になるkigyou-keiei.jp。
-
在職老齢年金の支給停止額は増額対象に含まれない – 65歳以降も厚生年金に加入して働いている期間や、70歳以降に適用事業所に勤務していた期間に支給停止された老齢厚生年金は繰下げ増額の対象にならないnenkin.go.jp。報酬が高く支給停止額が大きい人は増額率が小さくなるため、給与水準や退職時期を踏まえて判断する必要がある。
-
税金・社会保険料が増える可能性 – 繰下げにより年金額が増えると所得税・住民税や後期高齢者医療保険料・介護保険料などの負担が増える。金融機関の記事は繰下げによる手取り増が税や社会保険料の増加により目減りする可能性を指摘しているresonabank.co.jp。moneiro.jpも、年金額が約158万円を超えると所得税や社会保険料の負担が発生するケースがあると説明している。
-
繰下げ請求は本人しかできない – 繰下げの申請は本人の意志で行う必要があり、遺族が代理で請求することはできないnenkin.go.jp。繰下げ待機中に本人が亡くなった場合、遺族は65歳時点の年金額で未支給分(請求から5年前まで)を一括して受け取れるが、増額分は受け継げないnenkin.go.jp。繰下げを選ぶ際は健康状態や家族の生活費を十分考慮する必要がある。
-
繰下げ後の取消しは原則不可 – 65歳到達時に繰下げを選択すると原則取消しができない。途中で資金不足や健康悪化が起こった場合、増額をあきらめて過去分の年金をまとめて受け取る特例(繰下げみなし増額制度)があるが、増額率は固定され、新たな増額は得られないnenkin.go.jp。慎重な計画が不可欠である。
判断に役立つポイントと活用のコツ
-
期待寿命・健康状態の自己評価 – 自身の家族の寿命や健康状態、医療歴を考慮し、「81歳」「86歳」などの損益分岐年齢を目安に長生きする可能性が高いかどうかを判断する。健康寿命が短い場合は繰下げによるメリットは少ない。
-
生活資金の確保 – 繰下げ期間中に収入がない場合は退職金や貯蓄、企業年金、iDeCo等で生活費を賄う計画を立てる。退職金一括受取と繰下げ増額を組み合わせてキャッシュフローを平準化する方法もある。
-
加給年金・振替加算の有無をチェック – 65歳時点で配偶者が65歳未満または18歳未満の子がいる場合、加給年金を受け取る資格がある。繰下げ期間中は加給年金を受け取れないため、繰下げで増額される年金と加給年金の総額を比較し、夫婦の年齢差や家族構成を考慮することが重要invest-concierge.com。
-
在職老齢年金と報酬額 – 2026年4月から在職老齢年金制度の支給停止調整額が月62万円に引き上げられる予定で、働きながら年金を受け取っても減額されにくくなるlimo.media。報酬が高い場合は繰下げ期間中の支給停止額が増額対象にならない点を踏まえ、働き方や給与を調整しながら繰下げ時期を決める。
-
税・社会保険料の試算 – 年金増額後に所得税・住民税や医療・介護保険料がどの程度増えるかを試算する。所得控除の範囲内に収まるか、年金以外の収入と合わせて課税所得がどの程度増えるかを確認し、手取りベースで判断する。税理士やファイナンシャルプランナーへの相談も有効。
-
2028年の制度変更への備え – 遺族厚生年金を受給できる人は、2028年以降は老齢基礎年金の繰下げが自由になるほか、老齢厚生年金の繰下げも遺族厚生年金を請求しなければ可能になるkigyou-keiei.jp。遺族年金の有無や請求時期を確認しつつ、自分の老齢年金とどちらを優先するか計画する。
-
公的年金以外の資産形成を活用 – iDeCoや企業型DC、退職金制度、個人年金保険等と組み合わせて総合的に老後資金を準備する。繰下げで増額された公的年金だけに頼るのではなく、複数の収入源を持つことで不確実性に備えることが重要である【342217796977218†L234-L244】。
まとめ
公的年金の繰下げ受給は、1か月ごとに0.7%ずつ年金額が増える強力な制度であり、最大84%の増額を生涯にわたり受け取れる。一方で、繰下げ期間中は無年金となるため、生活費を自己資金で賄う必要があり、短命の場合は総受給額が減る。加給年金が受け取れない、税・社会保険料が増えるなどのデメリットもあり、判断には慎重を要する。
2022年に繰下げ上限年齢が75歳に引き上げられ、2028年には遺族厚生年金受給権者でも老齢年金の繰下げが可能になるなど、制度は拡充方向にある。繰下げを検討する際は、健康状態・寿命予測、預貯金や退職金などの生活資金、税負担、加給年金等の各種加算との比較、在職老齢年金制度や働き方との兼ね合いを考慮し、年金事務所や専門家に相談して最適な受給開始時期を決めることが重要である。


