明治維新以来、我が国における経済界が長足の進歩発達を遂げたことは世人の熟知する如くであって、
これは誠に国家のための慶賀すべきことであるが、忌憚なく申すと、どうも知識の進歩という方にはしり過ぎて居りはせぬかと思われる。
従って、富というものが堅実でなく、すべての方面に上辷りの進歩が多いように見受けられるのである。

とかく、この富を致すという経済と、私共の主義とする東洋式の精神的道徳論とは、ややもすれば一致を欠く嫌いがあるように思われる。
即ち、あまり道徳に傾くと富貴栄達を嫌う様になり、また功名富貴を論ずると道徳などはそっちのけになって、富さえ得ればよいという風になりがちで、
いわゆる賢い人でも両者の権衡を得ないという弊に陥りやすいようである。

これは昔からよくある実際問題であるが、私はこの弊はどうしても除かなければならぬと信じている。

かつてインドの詩聖タゴール氏が来朝した際、私は次の様な意味の話をして、その意見を問うたことがある。
「すべて人類に対しては教育を要する。教育によって知識を増やさなければならぬ。
知識が進むと知識のためにどういう変化を惹き起こすかというに、富を生ずる。科学的な知識が進むから富も増加するのである。
そして富が増すと同時に力が出てくるし、兵器などというものも富から生じてくる。

そのところまではよいが、さて富が増し力が増した暁はどうなるかというに、今度は悪い方に傾き、得手勝手なこと、
わがままなことなどにはしって、そのところに様々な弊害を生ずる様になる。彼の欧州大戦乱の如きもこれに原因するのであるが、
かくのごとき弊害は国際上にも一家の上にもありがちなことである。

されば富が進むと共にこの富に附帯して生ずる弊害を、どうして防ぐべきであるか。
この方法が十分に講究されなければ、到底、国際関係は安定せぬし、国内においても同様であると思うが、御意見はいかがですか?」

これはあえてタゴールに問わなくても好いことではあるが、タゴールは印度哲学の碩学であることをかねてから聞き及んでいるので、
来朝されたのを幸いに意見の交換をしたのである。するとタゴールは

「それは至極ごもっともなことである。着方は実際の研究をされたからそういう事をいわれるのであろうが、
これは結局、富を得る人々が深く講究をして、その弊害防ぐようにしなければならぬと思う。
また富を増した人は、極く清い考えを以て、抑遜してやるようにするより外に仕方がなかろう」

といって、一々例などを引き詳しく意見を述べられたのであったが、大体において
「道徳と経済とは一致しなければならぬ」という私の持論とその揆を一にするものであった。

それで私は多年かくかくの説を主張しているものであると、私の主義を申述べたところ、
タゴールは私の説に賛成され、「全く同感である。インドの人などはそういうことを言っても問題外であるが、
本当の道理を考えたならば、どうしてもそうなければならぬでしょう」と答えられた。

 

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