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人道を無視して成功は得られぬ

人を見る上に、単に成功とか失敗とかを標準にして計ることの誤りであることは申すまでもない。
成功といい失敗と言うけれども、それは僅かに働きの副産物に過ぎないものであって、人間にはそれ以上貴いものがなければならぬ。

即ち「人たるの務め」または「人道」、これである。吾々はこの人道を無視しては存在の意義をなさないのであるから、
人間生活の標準はどうしても此処におかねばならぬ。人間はまず何よりも人たる務めを先にし、道理を行って世を益し、
その間に己れをも立てていくという事を理想としなければならぬのである。

今日は道理の世中であって、生活改善といい、文化生活といい、皆道理に適わない所を道理に適うように改善しようとするのである。
力を持って横に車を押す事は容されぬ世の中である。斯る世界に意義ある生活を行うには、いわゆる成功と失敗とかは全く問題外であって、
仮りに悪運に乗じて成功した者があっても、それは無価値有害な成功で、人間としてむしろ憐れむべき境遇にあるものである。

また善人の中にも運拙くして失敗したものがあったにしても、それをもって直ちに悲観するには当たらない。
ただ人たる人の務めを全うすることによって安んずる事を得るのである。かく観じ来たれば、彼の金銀財宝の如きはいわば丹精した人の身に残る糟粕[酒かす]のような物である。

傾聴すべき野人の言

ここに一つの挿話がある。それは私の少年時代に父が訓戒の例話として度々聞かされた事があって、当時私の事実の付随に極めて勤勉な爺さんが住んでいた。
この爺さんは非常な働き者で朝は寅の刻[3~5時]に起き、夜は子の刻[11~1時]に臥するというくらいに年中不断に家業に努力した結果、当時相当の分限者[金持ち]と
なったけれども、その後も貧乏な時と同一な心持で、金ができたからといって奢侈[ぜいたく]に耽るような事はなく、相変わらず朝から晩までせっせと働き通したので、
近所の人たちの不思議に思った。

爺さんは何を楽しみにああして真黒になって働いてばかりいるのであろうか。
たまには遊山をしたり、甘い物を食べた所で減るほどの身代でもないのに、
ただ稼いでいるばかりいるのはどこまで欲の深い人かしれない、と悪口をいう者もあった。

そこである人がこの爺さんに向かい「貴方はもう大分財産が出来たのであるから、いい加減にして老後を遊んでくらしたらどうですか」
と聞いてみたら、爺さんの言うには、

「俺は勉強して自分のことを整斉[整えて揃えること]していくほど面白いことはありませんから、
俺は働く事を何より幸福に感じて居ります。そこで働いていくうちに働きの糟が出来る。これが世にいう金銀財宝でありますが、
俺は必ずしもこの身に糟粕を求めるために働くものでなければ、またそれを意にかけてもいません」といったそうである。

 

 

 

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