勇猛心の養成法

活力旺盛となって、心身潑剌となれば、自然に大活動を生ずる。大活動をなすについてその方法を誤れば、甚だしい損失を生ずる人となる。

そこで平生注意を払って、如何に猛進すべきかを考えておかねばならぬ。猛進する力が正義の観念をもって鼓舞されると、非常に勢いを助長するものであるが、その正義を断行する勇気は如何にして養うと言えば、平生より注意して、まず肉体上の鍛錬をせねばならぬ。

すなわち武術の錬磨、下腹部の、鍛錬は自然身体を健康にするとともに、著しく精神を陶冶し、心身の一致したる行動に熟し、自信を生じ、自ずから勇猛心向上せしむるものである。

下腹部の鍛錬は、今日腹式呼吸法とか、正座法とか、息心調和法とか称して、盛んに流行しておるが、すべて人の常として脳へ充血しやすく、自然、神経過敏となって、物事に動じやすくなるものであるが、下腹部に力を籠める習慣を生ずれば、心寛く体胖かなる人となりて、沈着の風を生じ、勇気ある人となるのである。

ゆえに古来の武術家の性格が一般に沈着にして、しかも敏活であるのは、武術の試合が下腹部の鍛錬をする物であるとともに、一方全力を傾倒して活動する習慣より、自在に一身を動かすようになったからだと思う。

勇気の修養には、肉体上の修養とともに、内省的の修養に注意せねばならぬ。読書の上において、古来勇者の言行に私淑して感化を受くるもよし、また長上の感化を受け、説話を聴いて、深く身に体し行う習慣を養成し、一歩一歩剛健なる精神を向上せしめ、正義に関する趣味と自信とを養って、欣び望んで義に進むまでに到れば、勇気は自ずから生じて来るであろう。

ただ注意すべきことは、くれぐれも青年時代の血気に逸り、前後の分別を誤って血気を悪用し、勇気を謝り用いて暴慢なる行動を執るようなことがあってはならぬ。品性の劣等なるものは勇気にあらずして、自然野卑狂暴となり、かえって社会に害悪を流し、遂には一身を滅亡するに至るものであるから、この点はよくよく注意し、平生の修養を怠ってはならぬ。

要するに、わが国今日の状態は、姑息なら考えをもって、従来の事業を謹直に継承して足れりとすべき時代ではない。まだ創設の時代であって、先進国の発展に企及し、さらに凌駕せねばならぬのであるから、一般に一大覚悟をもって、万難を排し勇往猛進すべき時である。それには不断心身の健全なる発達を促し、溌溂たる活動をなしえる活力を旺盛ならし得る心掛けを忘れてはならぬ。

青年に対してことにこの点を、望んで止まぬ次第である。

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