昔インドのサーヴァッティーの町に、キサーゴータミーという若い女性がいました。 貧しい家の娘で、げっそりとしていましたので、“やせっぽちの(キサー)ゴータミー”と呼ばれていました。 困窮した少女時代を送った彼女でしたが、財産を失った大金持ちを助けたことで、その長者の息子と結婚して40億もの財産を譲り受けることができました。それから彼女は子供を身ごもり、無事にかわいい男の子を産みました。 ところが、その幸せのさなかのことです。よちよち歩きができるようになったばかりの最愛の子が、不幸にも亡くなってしまいました。一人息子を失い、キサーゴータミーは悲しみに打ちひしがれます。 それまでに人の死を見たことがなかった彼女は、皆が火葬に連れ出そうとするのを拒み、子供の亡骸を抱えて、「薬を探しに行きます」と言って家を飛び出していきました。 「誰か、この子の薬を知っている人はいませんか!」 家々を尋ね歩く彼女に、何人かの人はこう言いました。「お母さん、あなたは正気を失っておられる。死んだ子供の薬を求めて歩き回っているのだから」。しかし彼女は答えました。「いいえ、私は必ずこの子の薬を知っている人を見つけ出します」 この様子を見たある賢者は、彼女を憐れに思って話しかけました。 「お母さん、私は薬のことは知りません。でも薬を知っている人なら知っています」 「どなたがご存知なのですか?」 「師が知っておられます」 「行きます。お尋ねしてみます」 こうして彼女は、紹介されたブッダのもとを訪ねました。師に近づいて礼拝すると、彼女は尋ねました。 「尊い方、あなたは私の息子の薬をご存知だとうかがいました」 「そうです。知っています」 「何を手に入れたらよろしいのですか?」 「ひとつかみの白いカラシ種(白マスタードシード)をもらってきなさい」 「どこのお家からいただいてきたらよろしいですか?」 「息子も娘も、誰も亡くなったことのないお家からいただいてきなさい」 「わかりました、師よ!」 キサーゴータミーは子の亡骸を抱きかかえると、再び町に戻っていきました。最初の家の前に立って、彼女はさっそく尋ねます。 「お宅に白いカラシ種はありますか? 息子の薬になるそうです」 「ありますよ。ちょっとお待ちなさい」 カラシ種を持って出てきた家の人に、キサーゴータミーは尋ねました。 「お宅では息子さんも娘さんも、どなたも亡くなった方はおられませんか?」 「何をおっしゃいます。うちでは今生きている人よりも、死んだ人間のほうがずっと多いですよ」 「それなら、これはお受け取りください。この子の薬にはなりませんから」 そのあとも、彼女は家から家へと尋ね歩きました。しかし、どこでもカラシ種を手に入れることはできませんでした。カラシ種(マスタードシード)はどこの家庭にでもある、ごくありふれたものでした。現代でもインド料理には必ず使うものです。日本でいうと塩や胡椒のようなものでしょうか。そのようにカラシ種はどこの家庭にもあったのですが、死人を出したことのない家は一件もなかったのです。 町中の家々を尋ね歩いたキサーゴータミーは、夕刻になって冷静になり、そして気づきました。 「ああ、なんと恐ろしいこと。私は今まで自分の子供だけが死んだのだと思っていた。でもどうでしょう。町中を歩いてみると、死んだ人のほうが生きている人よりずっと多い」 正気を取り戻した彼女は、息子の亡骸を置いて、ブッダのもとに戻りました。「カラシ種は手に入りましたか?」と問う師に、彼女は自分の気づいたことをお伝えしました。 ブッダは彼女にこう教えました。「誰にでも死は必ずやってきます。永遠でないものに望みをかけるならば、死(終わり)というものが大洪水のようにその人を飲み込んで、苦しみの海のなかに投げ込んでしまいます」。その時にブッダが説かれたことが、今も詩の形式で残されています。 子供や家畜 財産に 気を奪われて とらわれる 人を死王は さらいゆく 眠りに沈む 村々を 大洪水が のむように キサーゴータミーはブッダの教えを聞き、悟りを目指す決意(発心)をしました。そして出家して弟子になることを願い出ました。 尼僧となった彼女は、月2回の僧たちの会合で、あるとき灯火の係になりました。そしてそのとき、灯火がチラチラと点滅するのを見て、生じたものは滅びるのだという道理を悟り、ニルヴァーナ(涅槃)の境地だけが不滅であると知ります。 ブッダは彼女に、そのニルヴァーナの不死の境地を悟ることこそが、本当に求めるべきものであると教えました。その教えが、これも詩の形式で残っています。 不死の境地を 見ることなしに 百年間も 生きるより 不死の境地を 見て生きる 一日これに 勝りうる この教えを聞いたキサーゴータミーは、心にあった理解の妨げがすべて取り払われ、これからのち、悟りの境地へと至ったそうです。 引用:http://www.mahayogi.org/tokyo/yoga/kisa-gotami/「教育」についての模範的な事例ですね! 人生のステージが高い教育者は、 「相手に”自分で気付いてもらうように”誘導する」 という事を非常に意識しています。 参照:http://nextdim.jp/interview/ 人を動かすでもおなじみのカーネギーがいっていたように、 人は、どんなに悪人で、誰が見ても間違っていると思っていても、 決して自分が間違っているとは認めないものだと言います。 そして批判をされたり非難をされたりしても、心から自分の行動を変えることはないと言います。 むしろ、批判すればするほど、かたくなに自分が正しいことを主張するだけで、 望ましい行動を取らせることができなくなるといいます。 相手を動かすには、相手の行動に対して批判も非難もせずに、 相手がなぜそのような行動をとったのかを考えて認めてあげることが必要であり、 承認欲求を満たしてあげることが、相手の心を動かすためには最重要なのだと説きます。
教育の基本は相手の間違いや悪いところを指摘せずに、 いかにして自分で気付かせるか?という事
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教育の基本は、相手の間違いや悪いところを指摘せずに、
いかにして自分で気付かせるか?という事を考えるのです。
これに関して、釈迦の事例をシェアしたいと思います。





