【GPT-3による要約】

自由度が高すぎると混乱を招き、秩序を維持するためには自由への制限が必要であるという考え方を論じている。また、女性の社会進出を重視するあまり、家庭の空洞化が進んでいることを論じています。

【ひろゆきによる読み聞かせ(“Voiced by coefont.cloud”)】

多頭化する権力、絶対化する私権

自由をふりかざし、私権制限を警戒する議論が輪をかけた結果、今回のコロナ禍で、すみやかな現金給付を行うことができなかった。
陣頭指揮をとる機関が政府にも地方自治体にもないまま、一気に非常事態に巻き込まれたのです。

そしてデジタル化以前の手作業で、公務員は膨大な努力をかたむけ、疲弊していった・・・・・。

 

こうした事態こと、「権力が抑制されすぎると、何も決められない状態になり、安定性、予見性、安全、物質的な繁栄が損なわれるのだ」というナイムの指摘の、日本版ではないでしょうか。

 

完全な自由を求めた結果が、社会を逆に混乱に突き落とし、不自由で暴力的な状態を生み出す。

 

政権批判の大合唱はあるが、自ら政権を担うだけの胆力のない野党やマスコミが、引きずりおろし民主主義に明け暮れ、混乱だけを引き起こしている。
ナイムのいう熟練と知識の解体による「物事の単純化」は、我が国のばあい、ネット情報に左右されたトイレットペーパーの買い占めを引き起こしてしまう。
人間同士のつながり方、関係構築の手段がきわめて短時間で、気分的なものになっている。

自由と義務のジレンマ

私たちが勘違いしているのは、人間には完全な自由が存在する、ということではないですか。
豊かさ革命も、移動の自由も、意識革命も、要するに、「もっと欲しい!」という、自分が絶対的な自由を得られるという妄想です。
それが収集のつかない相対化を世界的規模でもたらしている。

しかし自由には必ず義務や拘束、すなわち制限が伴うはずです。

 

欧米諸国のロックダウンには、「自由は無秩序にならない限りで保障されている」、という強いメッセージが込められていた。
平時でないからこそ、自由とはンアニカという問いが顕在化したのです。

異質なものの排除と殲滅

新型コロナウイルスで、ヨーロッパ諸国が相次いで行ったロックダウンは、シュミットのいう決断に相当するものでしょう。
人々の鼓動に法的拘束力をもつ制限を加える。

その権限が大統領や首相に集約されている状態は、まさしく委任独裁のようにも見え、シュミットからすれば民主主義本来の姿とさえもいえるかもしれません。
一方わが日本においては、どうでしょうか。

緊急事態宣言発令のための法改正を、野党との党首会談で繰り返し「お願い」することで成立させた。
本来であれば一月中に発令できた緊急事態宣言は、四月までずれ込むことになったのです。

 

自由民主主義陣営 VS 中国版G77

海外で顕在化した事実があります。
世界全体を見渡すと、自由と民主主義を掲げて行動する国家が、少数派になってしまったという事実です。

筆者は最近、ある政治家たちとの勉強会で、外交に精通する政治家や官僚たちから、衝撃的な言葉を聞きました。
それは中国のような、一党独裁の国家体制を指示する中小の国々が、今や世界では多数であり、G7をもじって、「世界は中国を中心としたG77である」という指摘でした。

コロナ禍の拡大を阻止するために、先進資本主義諸国ですら、強制的な国家主導のロックダウンを行った。
その先頭走者こそ中国にほかならず、その中国は世界で発展途上国や開発独裁国のリーダーとなり、G77と呼ばれている。

「尊厳」なき時代

生産年齢人口が減少していること、男性の収入が伸び悩んでいることなどから、現在、経済成長の起爆剤として、女性の社会進出がしきりにいわれています。
それ自体、男女の雇用機会均等として歓迎すべき事象でしょう。

しかしともすれば、女性の社会活躍が強調されがちなこの現象は、逆からみれば、家庭が空洞化していくことを意味しています。
したがって、同時に大事なのは、「男性よ、家庭へ戻れ」ということではないですか。

男性と女性が家庭と企業双方から、応分の気配りを受けられることが重要なのであり、社会進出が家庭を崩壊させては意味がありません。

 

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