社会が育成しようとしてきた人づくりとは本質的に異なる人づくりが必要になる。
膨大な事を細部まで知っているとか、決まりを正しく理解し、そつなくちゃんとやる系の、本質的にマシンのほうが得意な力を鍛えることはさして意味がない時代に突入している。
これからの時代はむしろ、データ×AIの持つ力を解き放たれること、その上でその人なりに何をどのように感じ、判断し、自分の言葉で人に伝えられるかが大切だ。
その基礎になるのは、生々しい知的、人的経験、その上での多面的かつ重層的な思索に基づく、その人なりに価値を感じる力、すなわち「知覚」の深さと豊かさだ。
ある種の生命力であり、人間力といえる。
また、マシン的な能力が高いこれまでのエリート層とは大きく異なり、「異人」というべき人がカギとなる。未来に向けて普通の人が目指さない新しい世界を描き、それをさまざまな技術、アートなどの複数の領域をつないで形にすることができる人、どんな話題でもそのために相談できる人を知っている人だ。時代のパースペクティブを持ちつつ、未来を仕掛けられる人を生み出せるかが大切になるということだ。
技術者・エンジニア層は割合としては少数ではあるが、実数としては相当量存在している。
ICTエンジニアだけ見ても米国の3分の1程度はいると考えられ、それ以外の分野を含めればその倍にはなるだろう。
この層は現代の日本のさまざまな偉大な取り組みを支え、生み出してきた人たちであり、当然ながら数理素養も他の方々に比べ各段に高い。
アタマも柔軟な方々が多く、たまたま日本のオールドエコノミー側の中核的な産業が不調のために不遇をかこっている方々も多い。
この方々の情熱を解き放つというのが1つだ。
ICTエンジニア側の方々はデータ×AI分野そのものの専門家を目指してもらい、他の分野の技術者の方々にはことごとく、その深いドメイン知識を活かしつつ、デジタル要素を持つ人材へと生まれ変わってもらうのだ。きっとこの層から、データ×AIスキルを持ったデータプロフェッショナル、そしてアーキテクト的に生まれわかる人は相当数生み出せると思う。
この兼業、副業時代において、労働は別に毎日である必要も、フルタイムである必要もない。
日に数時間、週1~2日でも、生み出す価値さえあれば十分だ。同世代のリーダー層が元気になれば、大きなインスピレーションの源になることは間違いなく、知恵も共有され、該当世代全体が活性化する可能性も高い。
20年前に日米の立ち位置は逆転し、当時、ほとんど脅威とされていなかった中国が数世紀ぶりに世界経済の頂点に再び立とうとしている。
富を生み出す前提も変わった。十年前に生まれたスマホが人間とキカイ、バーチャル空間の融合した世界を生み出した。
単に技術的なスキルを教えるだけでなく、むしろこのような多面的な変化の総括と意味合いについてもしっかり共有し考える事が、とくにすでに働いている技術者・エンジニア層やミドル・マネジメント層にたいしては重要だ。
これらを総合すると、誰もが少なくとも、10~15年に一度は”サバティカル”的に半年~1年程度スキルを刷新する社会が望ましい。
サバティカルというのは、特にアカデミアでよく行われる「使途に制限なく、長期で職場をはなれる事ができる制度」で、単なる休暇というより、外部機関での長期研究、執筆などに使われることが通常だ。正にこれを世界に先んじて、人材再生の仕組みとして日本にとりいれてはどうだろうか。
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