ここまで未来に対して投資すべきであることに対してよくある批判は、「この国にはカネがないから何もできない」というものだ。
本当だろうか。その視点で2016年の予算を例にとって、国としてP/L(予算の入と出)をまず見てみよう。

 

歳入のうち、3分の1程度借金ではあるものの、全体では100兆円ちかくとかなりの予算だ。
歳出は3分の1程度が社会保障給付費に使われ、15%程度が地方交付金で自治体に。
またある種の残債払いというべき国家の支払が4分の1程度ある。

結果、普通に国家予算と言えるものは4分の1程度、26兆円しかない。
ちなみにこの内、国防費が約5兆円でそれを差し引くと21兆円。約5分の1しか残らない。
国防費はミニマムレベルで、増額を検討することがあっても、これ以上削るのが厳しいことは理解できる。

 

社会保障、すなわち医療費、年金などの費用は医療費だけでも32兆円ではきかない程度の規模があるはずだ。
実際、社会保障給付費の総額は120兆円近くあり、こちらを合わせたこの国の予算の全体観はなんと総額170兆円。
国に単にカネがないという議論をするのはかなり誤っていることがわかる。

 

皆さんも毎月かなりの社会保険料を支払っていると思うが、実は職場も同じ額の社会保険料を雇用者毎に支払っている。
もし、月に10万円引かれているとすると、会社も同額払っているのだ。これが税収よりも大きな社会保険料であり、これらの基金を運用した収入を合わせると70兆円以上の規模になる。
これで医療・年金・その他の社会保障を賄うべきなのだが、45兆円以上も足が出ており、これを国家予算で半ば補填しているというのが実情なのだ。

この補填部分が先ほどの一般会計の社会保障給付費であり、地方交付金も算盤上は、たいはんはこの補填に回っていると考えたほうがよさそうな状況だ。
この社会保障給付費の内訳を聞いてみると、年金が60兆円近く、医療費が40兆円近くある。
医療費の60%が65歳以上で発生すること、残債払いを加味すると、我が国はかなり立派な額の予算をくみながら、その多くがシニアと過去に使われていることがわかる。

 

このようにお金はあるのだ。むしろリソース配分の問題であり、未来に賭けられる国になっていないだけなのだ。

 

日本を1つの事業体だと思えば、我々がどれほど危険な道を歩んでいるかは明らかだろう。
日本円の価値を保つために残債の返済は不可欠だが、これは当然将来の富を生むものではない。

シニア層をサポートは人道上、また憲法上、また年金のお約束上不可避だが、未来の経済規模を拡げるものではない。
また、この多くは実はサンクスコストになってしまう可能性が高い。真に未来につながる若手の育成、そして科学、また技術の開発コストは削られ続けている。

未来が暗いと考える前に、なぜそうなのかをこのようにフラットに見れば原因はそんなに難しい事ではないのだ。
解決のために必要な取り組みも驚くほどシンプルだ。

「育て評価する人の像を刷新する」、それに伴って、
「もう少し未来にリソースを寄せる」、それだけのことだ。

その必要なリソース規模は、このあと述べるが実は社会保障給付費に比べれば驚くほど小さい。

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