人は噂が好きだ。噂話が真実か否かにかかわらず、拡散し続けることもある。それは何故だろうか。

人は社会的学習者だ。私たちは自分の信念の大部分を教師や親、友人など信頼できる人の証言から作り上げている。こうした知識の社会的伝達が文化や科学の中核を成している。
噂の内容が間違っていても広く広まることは多々あるのだ。

ソーシャルメディアサイトで共有された誤情報が、誤った思い込みを助長している。様々な話題に関する誤った考えが広まっているのだ。

プロパガンダは害を及ぼす意図を持った、偽情報だ。

過去にはこのような事もあった。

米国はイラク侵攻にあたって、イラクがテロ組織に加担していると喧伝し、更には大量破壊兵器をも保持していると繰り返し嫌疑をかけた。
実際にはテロ組織に加担しているという証拠もなく、フセインは大量破壊兵器の保持を否定していたにも関わらず、ブッシュ政権はその主張を無視し、イラク侵攻へと突入した。
占領後の調査で、大量破壊兵器の保持は虚偽であったことが判明する。

現代の複雑な情報化社会のなかで、私たちは翻弄され続けてしまうのか。虚偽で埋もれた山から真実を掴み取ることは困難なのか

こういった情報をシェアする人は、自分で真実を確認する事なく、それをシェアしていた人を信頼してシェアするのだ。調べる気がないならそこに事実を示しても役に立たない。

さらに事実を知ろうとしても、信頼できるエビデンスを間違う場合も多い。
私たちが誰に投票して、何を買い、だれを称賛するかはすべて、この世の中について何を信じるかに左右される。そのため、人々の信念を方向付けたがっている裕福で影響力のあるぐるや個人が多く存在する。
産業界が科学的な信念に影響を及ぼそうとする時には、腐敗した科学者を買収する場合もある。
事実もっと、はるかに巧妙なずっと効果的な戦略を用いて誘導しているのである。

複雑な情報社会の現代をうまく生き抜くには、健全な科学のプロセスと慣行を世界の事実を知るための最良な手段として尊重するだけでなく、その事実を踏まえて何をすべきかという本質的に異なる問題をきちんと分けることだろう。

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