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成功する人の思考に共通するポイントの一つが、
具体から抽象化、抽象から具体化への変換の上手さです。

 

例えばドラマを見ていて面白いなと感じたとき、
多くの人は「面白いな」で思考が止まってしまいます。

 

そこから、なぜ、何が面白いんだろうかっていうのを考えることが具体化です。

この抽象から具体化への帰納した回数が成功者はとても多いです。

それは、相手から答えを求められる機会が多いからでもあります。

 

 

そして、抽象化から具体化への変換の質を上げるのは訓練が必要です。

 

一流の人は大体何かの分野でそれをひたすら練習した人が多く、
それが故に一流であり、その反復訓練で構築された知識により
分野を超えても深く思考ができるわけです。

 

一流どうしが分野をこえても話が通じ合うのはこの思考訓練の賜物なのです。

 

 

抽象⇔具体の変換方法の一つがマクロの視点、ミクロの視点です。

 

能(伝統芸能)の世界でも視点の重要性が説かれており、

ミクロな視点である、自己の狭い見方は「我見(がけん)」、
マクロな視点である、離見(りけん)、離見の見(りけんのけん)を
持ち合わせてやっと一流と言われるようです。

 

 

 

離見の見

自分の姿を左右前後から、よくよく見なければならない。これが「離見の見(りけんのけん)」です。これは、「見所同見(けんじょどうけん)」とも言われます。見所は、観客席のことなので、客席で見ている観客の目で自分をみなさい、ということです。

実際には、自分の姿を自分で見ることはできません。客観的に自分の行動を批判してくれる人を持つなど、ひとりよがりになることを避けるよう、心掛けなければなりません。

ではどうやって、自分を第三者的に見ればいいのか。世阿弥は、「目前心後(もくぜんしんご)」ということばを用いています。「眼は前を見ていても、心は後ろにおいておけ」ということ、すなわち、自分を客観的に、外から見る努力が必要だといっているのです。これは、単に演劇の世界に限ったことではありません。

「後ろ姿を覚えねば、姿の俗なるところをわきまえず」(後姿を見ていないと、その見えない後姿に卑しさがでていることに気付かない)

それではいけない、と世阿弥は言っています。

歳を重ねれば重ねるほど、地位が上に行けば行くほど、前を見ることが要求され、自分の後姿を見ることを忘れてしまいがちですが、自分が卑しくならないためには、自分を突き放して見ることが必要なのです。

全体の中で自分を客観的に見ることは、いつの世でも難しく、しかし必要とされることなのです。

引用:http://www.the-noh.com/jp/zeami/words.html

 

 

商売においても離見の見は重要です。

 

 

ジャパネットの高田さんが伝授する心をつかむ話術 伝統芸能に通じるコツとは

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160405-00010000-bfj-bus_all&p=2

 

 

 

この視点というのは、ピアニストのような一人称視点のような人も共感していることがとても面白いです。

 

ピアノをどうやっても一人称視点を抜けられません。

それは演奏者の自分自身はそこから離れらないために、
どうしても一人称が強くなるからです。

 

そこをどうやって突破するかが一流になるためのカギのようです。

それを突破すると、

 

ピアニスト 「現在、過去、未来があの連続しているところに対して指をどう動かすかっていう主体になってる」

だそうです。

 

一見「離見の見」とは全く関係のないピアニストから
世阿弥の教えと同じメタ認知的思考がですという事。
これが一流っていう話なんだと思うんですよね。

 

 

 

 

 

具体⇔抽象の変換は

視点を変える事ででるという話でしたが、

抽象的なものほど説明が難しくなります。

 

 

 

例えば、「動物って何?」って言われると、僕らは定義が非常に難しいですよね。

それは動物が抽象的なワードだからです。

 

「呼吸をするもの」とか言ったら、
「じゃあ植物も動物に含まれてしまいますよ?」
って言われてしまうし、

「運動能力と感覚能力を持つもの」と言ったら、
「じゃあドラえもんは動物ですか?」
みたいな議論になったりします。

 

僕らは、動物という概念は理解しているけど。
そして動物を具体化したものが犬や猫なのです。

 

 

思考訓練はめっちゃ重要なので、参考になる記事をいくつか紹介します。

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