人間はテクノロジーによって知を外注化し、生活を拡張し、人間存在それ自体の自己認識を更新し続けてきたのです。
新しく勃興するテクノロジーと個人や、日本がどう融和していくべきか。そんな話をしていきます。
いまの日本人の意識は相当ネガティブです。日本はイノベーティブじゃない。一人当たりの生産性が低い。といった話ばかりですが、いまの社会システムのありかだったら、生産性が低いのは当たり前です。
我々の教育は、人に言われたことをやるのに特化していて、新しいことを始めるのに特化していないからです。
これまでの大量生産型の工業社会には向いていました。みなが均質な教育を受けていて、なにも言わなくても足並みが揃うからです。日本の成長はそのように計画されていました。
ただし今は、工場が本質的に機械知能化されていっています。スマホのように高集積で人間が関与することの難しいものに関しては、人の足並みをそろえる必要はありません。
少数の生産性の高いデザインチームと作業機械への親和性があればいい。しかしある程度のサイズをもつ車などは人が関わる必要がありますが、スマホなどはほとんど機械だけで、つくれます。
車づくりにはぴったりだった日本の教育が時代に合わなくなっているのです。
これは高度経済成長期にはとてもいい戦略でした。ただし、いまの状況でこの、戦略を続けていくと、日本人生産性はどんどん落ちていきます。
機会親和性が低く、代替性の高い人類を生産する仕組みだからです。
このように機能しなくなったシステムを見直して、新たな価値が生まれるシステムを作り出さなければならないのです。
AI、VR、5G、ブラックチェーンなどのテクノロジーはこれから世界を変えていきます。これらのテクノロジーの本質を理解していかないといけません。
高度経済成長モデルに拘泥し、欧米という幻想を抱いていては日本は3流国家に転がり落ちてかまいます。しかし、意識改革を、行い正しい戦略にのっとっていけば日本を再興することは、難しくありません。
まずは、個人のあり方です。
欧州や米国では個人が神を目指す、全能性に近づいていく思想です。人間はどこまでいったら最強の個人になれるか、神になれるかという勝負です。
日本にはこの価値観は全くあってないように思います。結果、西洋的価値観と日本の文化に齟齬にどうやって挑むかという問いに直面しています。
では、どうすべきかというと、個人ではなく全体をみることです。
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