今日、農民が幼い子牛を捕まえて母親から引き離し、閉じたケージに入れ、エサと水を与え、病気に対する予防接種をし、成長すると雄牛の精子で妊娠させたらどうなるのか?
客観的な視点に立てば、この子牛は生き残って繁殖するために、もはや母親との絆作りも、遊び仲間も必要としない。

だが、主観的な視点に立てば、子牛は依然として母親と強く結びついたり、他の子牛たちと遊んだりしたいという強い衝動を覚える。
もしこうした衝動が満たされなければ、子牛はひどく苦しむ。

これこそが進化心理学の基本教訓だ。
自然界で形作られた欲求は、もはや生存と繁殖に本当は必要なくなったときにさえ、主観的には依然として感じられる。
工業化された農業の悲劇は、動物たちの客観的な欲求を満たすことには大いに心を砕くのに対して、主観的な欲求は無視する点にある。

この説が正しいことは、遅くも1950年代からは知られていた。
アメリカの心理学者ハリー・ハーロウによる、サルの発達の研究のおかげだ。

ハーロウはサルの赤ん坊たちを誕生後数時間で母親から引き離した。
そして、一頭ずつ別のケージに入れ、「代理母」で育てた。
ハーロウはそれぞれのケージに二体の代理母を用意した。

一方は針金でできており、サルの赤ん坊が吸えるように、哺乳瓶を取り付けてあった。
もう一方は木で作って布を掛けてあり、本物の母親に似せてあったが、サルの赤ん坊が生命維持をするのに必要な栄養は一切提供しなかった。
赤ん坊たちは、栄養を与えてくれない布の母親よりも、ミルクを与えてくれる金属の母親にしがみつくものとハーロウは予想した。

ところが意外にも、サルの赤ん坊たちは、布の母親をはっきり選び、ほとんどの時間を彼女とともに過ごした。
二体の代理母を隣どうしに置くと、金属の母親の哺乳瓶からミルクを吸う間も、布の母親にしがみついていた。

赤ん坊たちがそうするのは、寒かったからではないかとハーロウは思った。
そこで、彼は針金の母親の中に電球を取り付け、熱を発するようにした。
それでも、ごく幼いサルを除けば、ほとんどのサルが布の母親を選び続けた。

その後も研究を続けると、ハーロウのサルの孤児たちは、必要な栄養はすべて与えられていたにもかかわらず、成長後に情緒障害の症状を見せた。
彼らはサルの社会に溶け込めず、他のサルたちと意思を疎通させるのが難しく、不安と攻撃性のレベルが高かった。

したがって、次のように結論を下さざるをえなかった。
サルたちは、物質的な必要に加え、心理的な欲求や欲望も持っており、それが満たされないとおおいに害を受けるのだ。
ハーロウのサルの赤ん坊たちが、栄養を与えてくれない布の母親の下で時間を過ごすのを選んだのは、ミルクだけではなく情緒的な絆を求めていたからだった。

その後の数十年間に行われた多数の研究から、この結論がサルだけでなく他の哺乳動物や鳥類にも当てはまることが分かった。
現時点では、厖大な数の家畜がハーロウのサルたちと同じ憂き目に遭っている。農民は日常的に子牛や子ヤギ、その他の動物の子供を母親から引き離し、離隔して育てているからだ。

今日、合計すると何百億もの家畜が機械化された製造ラインで一部と化して暮らしており、毎年そのうち約500億が殺される。

 

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