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ときに、二人の関係がおかしいという感じがぬぐえないことがあるかもしれない。
大切な人の振る舞いが、適切でない気がするのだ。

そんなとき、あなたは相手と対峙し、あえて関係が危ういことを示したり別れを追ってみたりするか?
それとも、自分の感情を無視し、過剰に反応しているだけかもしれないと考えるか?

それは、ほとんどの人がいつかは悩まされる問題だ。
また往々にして、頭と心のどちらかを信じるべきかの選択を迫られる問題でもある。

だが、正しい選択をするのは容易ではない。
直観か理論的な分析のどちらかをひたすら信じたらいいといった単純なはなしではないからだ。

信頼にかんしては、直感的な心の計算か、慎重な心の計算でつねに最良の答えが得られるわけではない。
両方ともこの問題の解決を目指すが、どちらも完璧ではない。

恋愛や結婚の信頼に対する疑念は、たいてい「おや?」で始まる。
ある疑わしい行動の根底にある意味を、ふと立ち止まって考えるのだ。

相手が夜遅くまで働いていたり、将来の計画についての話し合いをためらったりすることは、
以前よりも自分たちの関係に冷めていることを暗示するのか?
その答えを見つけようと思うと、思慮に基づく信頼(慎重な心の計算)に疑問符が付くことがある。

すると、相手が引き続き信頼できるかどうかを見極めるべく、現在の関係を見直そうとする気持ちが湧いてくる。
何しろ、誰かを信頼すればこちらに弱みができるのだ。
もし相手が支えてくれそうにないなら、付け込まれないように対策を講じる必要がある。

一つの方法に相手に対する信頼度を下げるという手がある。
つまり多くの人は、自分がとるべき行動を見極めるため、真実を見抜こうをして相手の行動を分析する。
ときには異常なほどそうする。

この策は一見すると合理的だが、多くの欠点がある。
例えば私たちは過去の行動の原因をしばしば勘違いするのだ。
たとえこの分析が十分に客観的なものであっても、その結果だけで、
自分の最終的な決断を完璧に予測できるわけではない。

思い出してほしいが、信頼度は二つのレベルで評価される。悩ましい「おや?」が、
信頼を再考することにつながるかどうかは、意識的な心による分析と同じくらい、
意識の外で行われている分析にもかかっている。

二つのシステムの相互作用をざっと理解するには、心理学者のサンドラ・マレーの研究をみてみるといい。
マレーは本書でとりあげてきた「おや?」の種類に着目し、カップルたちが、信頼を揺るがす問題を意識的なレベルと
無意識なレベルの両方でどう乗り切るかを長年調べてきた。

例えばオリヴィアがピーターにディナーか映画のために早く帰宅して欲しいと頼むが、
ピーターは断り、会社の同僚と試合に行く予定だと答える。

すると、「おや?」。オリヴィアの頭の中で警報が鳴りだすかもしれない。
特に、ピーターの拒絶が初めてでない場合には。
そして彼女はこう疑るかもしれない。
「彼を信じられる?バーやクラブに出かけるのではなくて、本当に試合を見に行くのかしら?」
マレーによれば、こうした疑問は、脳の中で二つの並行するプロセスを作動させる。

意識的なレベルで、オリヴィアはピーターの行動を分析し始める。
たとえば、出かける頻度や、よく一緒に出掛ける相手、自分への気持ちが冷めている気配の有無などについてだ。
手短に言えば彼女は彼に対する「思慮に基づく思考」のレベルを再計算し始めるのだ。

しかし、彼女が気づかないうちに、無意識のレベルでも同様のプロセスが働いている。
彼女の心は、ピーターへの信頼に対する最新の評価を引っ張り出している。

オリヴィアには、その最新の評価は根拠のない当て推量のように思えるかもしれない。
これら二つのプロセスによる結果と、結果の統合のされ方とによって、オリヴィアの次の行動がきまる。

両方からピーターは信頼できると結論がでたら(直感的に信頼できそうな気がするとともに、彼がみずから述べた行先に本当にいると信じるならば)
オリヴィアは引き続き彼を信頼し、いっそう緊密な絆を作ろうと努力する可能性が高い。

だが、両方の評価から彼は信頼できないという結論がでたら(信頼できないという予感がしたうえ、今夜テレビで何の試合も放映されていないのだから、これはもう我慢の限界だと考えたら)
二人の関係は終わることになる。

 

 

だが、もっと興味深いのは、信頼度についての意識的な評価と直感的な評価が食い違う場合だ。

 

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