モチベーション(動機づけ)

なぜインセンティブを利用したプログラムは、本来の対象であるモチベーションの低い生徒や、貧困層の生徒に効果がないのだろうか?
この大きな疑問は、インセンティブに関する特定のプログラムのみの問題を超えて、本書の核をなす疑問にもつながる。

低所得層の子供たちがもっと懸命に勉強して、学校で頑張り通せるようにするには、どういった動機付けが効果的なのか?

あるいはもう少し掘り下げて、そもそも誰かに何かをさせるには、どういう動機づけをすればよいのか?
経済学者がこの問題を考えた場合、報酬を支払うか、何かほかにインセンティブとなりそうなものを差し出すことで動機づけをすればよいという、かなりストレートな結論になることが多い。

しかしこの問題に取り組んでいるのは何も経済学者だけではない。

心理学者もモチベーションに関する問題については日々熟考しており、経済学者の説明とはまたべつの答えにたどりつく場合がある。

フライヤーがおこなったようなインセンティブに関する研究を複雑にする、動かしがたい事実がある。
困難な環境で育った子供たちには、よい教育を受けたいと思う重要なインセンティブがすでにあるはずなのだ。

高校を卒業した大人は、そうでない大人よりはるかによい人生を送れる。
平均的に見て収入が多いだけでなく、家庭も安定し、より健康で、逮捕されたり刑務所に入ったりする確率は少ない。
大学を卒業した大人とそうでない大人にも同じことがいえる。

若者たちは当然これを知っている。
それなのに、進路の分かれ目に影響を与える重要な決断をするべきときが来ると、逆境に育った若者はたいてい目に余るほど自身の利益に反する選択をして、ゴールをより遠く、到達のむずかしいものにしてしまう。

心理学の分野には、こうした明らかな矛盾を説明する重要な研究がある。
ロチェスター大学の二人の心理学者、エドワード・デシとリチャード・ライアンのライフワーク「自己決定理論」だ。

二人が研究をはじめた1970年代は、心理学の歴史のなかでは行動主義者が優勢な時代だった。
つまり、人間の行動はひとえに生物学的な必要を満たすためになされるため、人はストレートな褒美と罰に敏感に反応する、という考え方が主流だった。

これに反して、デシとライアンはこう論じた。
私たちは多くの場合、自分の行動が生む表面的な結果ではなく、その行動によってもたらされる内面的な楽しみや意義を動機として決定を下す。

二人はこの現象を「内発的動機づけ」と名付けた。
さらに二人は、人が求める三つの鍵を見きわめたー「有能感」、「自律性」、「関係性(人とのつながり)」である。
そしてこの三つが満たされるときにかぎり、人は内発的動機付けを維持できると述べた。

デシとライアンは数十年をかけて複数の実験をおこない、外的な報酬ーフライヤーの研究で中心となった物質的なインセンティブーは、長期にわたるプロジェクトへの動機づけとしては効果がなく、多くの場合、むしろ逆効果でさえあることを示した。

 

デシが昔おこなった有名な研究の話は、ダニエル・ピンクの著書「モチベーション3.0」にも出てくる。
当時カーネギーメロン大学大学院で心理学を研究していたデシは、二つの学生グループに対し、キューブ型のパズルを図の通りに組み立てるように頼んだ。

一日めは、どちらのグループも報酬をもらいませんでした。しかし二日めになると、デシは一方のグループに対して、パズルを一つ完成させるごとに一ドル支払うことを申し出ました。三日め、前日支払いを受けたグループに対し、デシはもう資金が底をついたからと説明し、きようはパズルを完成させても報酬は出ないと告げました。

三日を通じていちども報酬を受けなかったグループは、だんだんパズルに夢中になりました。ただ単純に面白い、楽しいと感じられたからでしょう。日を追うごとに、パズルを完成させるまでの時間を短縮させていったのです。デシがマジックミラーを通してひそかに観察していると、学生たちは休憩時間もパズルをつづけ、時間を計ったり観察の対象になったりしていないと思っているあいだもパズルをうまく完成させようとしていたのです。

けれども二日めに報酬を受けたのち、三日めには受けなかったグループは、異なる行動を取りました。二日めには、予想どおり、学生たちは小遣いを稼ごうとしてより懸命に、より早くパズルを完成させました。けれども三日め、デシがちょっと席を外すと、彼らはパズルに見向きもしなくなったのです。しかも支払いを受けた日より取り組みに熱意がなくなっただけでなく、支払いのことなど考えず、本能的にパズルを楽しんでいただけの初日と比べても意欲が下がっていたのです。いい換えれば、わくわくするパズル遊びが報酬の導入によって「仕事」になってしまったのです。仕事となれば、支払いも受けられないのにやりたがる人はいません。

デシとライアンやほかの研究者たちは、この発見をもっと年齢の低い子どもの調査でも確認しました。この例は、有名ですね。私もよくこの例を幼児教育を語る上で出すことが多いです。スタンフォード大学の心理学者、マーク・レッパーがおこなった実験では、お絵かきの好きな幼稚園児のグループに、その日は絵を描いたらお帰りのまえにご褒美として青リポンと賞状をあげると告げました。ニ週間後、園児たちは明らかに絵を描くことへの興味を失っており、自由時間にお絵かきをすることもご褒美をあげた日の前より減っていたのです。もともと熱心だった四歳児たちにとって、お絵かきが仕事に、つまり青いリボンがもらえなければする価値のない物事になってしまったのです。

デシとライアンは教育に関する著述を、人間は生まれながらの学習者で、子どもたちは生まれつき創造力と好奇心を持っており、「学習と発達を促進する行動を取るよう、内発的動機づけがなされている」という前提から出発したのです。しかしながら、このアイデアは「退屈さ」によって複雑になります。何かを学ぼうと思ったら、それが絵を描くことであれ、プログラミングであれ、八年生の代数であれ、たくさんの反復練習を要します。反復練習はえてしてかなり退屈なものなのです。デシとライアンは、教師が生徒に日々求めるタスクの大部分は、それ自体が楽しかったり満足できるものだったりするわけではないと認めています。

掛け算の九九を暗記することに強い内発的動機を持っている子どもは稀だとタフ氏は言います。

この瞬間、つまり内なる満足のためでなく、何かべつの結果のために行動しなければなくなった瞬間に、「外発的動機づけ」が重要になるというのです。デシとライアンによれば、こうした外発的動機づけを自分のうちに取りこむようにうまく仕向けられた子どもは、モチベーションを徐々に強化していけると言っています。ここで心理学者は、人が求める三つの項目に立ち戻ります。「自律性」「有能感」「関係性」です。この三つを促進する環境を教師がつくりだせれば、生徒のモチベーションはぐっと上がるというわけです。

では、どうやったらそういう環境をつくりだせるのでしょうか?デシとライアンの説明によれば、生徒たちが教室で「自律性」を実感するのは、教師が「生徒に自分で選んで、自分の意志でやっているのだという実感を最大限に持たせ」、管理、強制されていると感じさせないときであると言います。これは、幼児にも当てはまりますね。また、生徒が「有能感」を持つのは、やり遂げることはできるが簡単すぎるわけではないタスクである、生徒たちの現在の能力をほんの少し超える課題を教師が与えるときであると言います。さらに、生徒が「関係性」を感じるのは、教師に好感を持たれ、価値を認められ、尊重されていると感じるときであると言います。デシとライアンによれば、この三つの感覚には、机いっぱいの金の星や青いリポンよりも、はるかに動機づけの効果があるといいます。生徒のモチベーションを高めたいと思うなら、教室の環境や生徒との関係を調整し、この三つの感覚を強化する必要があるというのです。「生徒が自律性、有能感、関係性を実感できる教室環境は、内発的動機づけを育てるだけでなく、あまり面白くない学習作業も進んでやる気にさせるものだ」デシとライアンはそう結論づけています。

こうしたモチベーションの力学は、低所得層の生徒たち、とりわけ幼いころに受けた有害なストレスの影響が見られる生徒たちの学校生活では、さらに大きな役割を果たすと言われています。子どもたちにトラブルがあれば、勉強に関することであれ、行動に関することであれ、多くの学校は締めつけをきつくします。そうやってただでさえ脆弱な生徒の「自律性」をさらに弱めてしまうのです。また、落ちこぼれることで、低所得層の多くの子どもがそうですが、生徒の「有能感」は徐々に低下していきます。さらに、教師との関係に警戒が必要だったり、争いがあったりすると、強力なモチベーションになるはずの「関係性」も経験できなくなると言います。そしてひとたび生徒の心が離れ、やる気が失われると、どんなに物質的なインセンティブや、反対に罰を与えても、動機づけにはなんの効果もないというのです。少なくとも、深く響く効果、長期にわたる効果は得られません。

しかし貧困層の子どもを大勢抱える学校は、自己決定理論よりも行動主義を原則として運営されていることが多いようです。たいていの校長は、標準テストの結果が上がっていることを示さなければならないというプレッシャーを感じているし、教員は、規則に従わず、成績も悪い生徒が「自律性」を、うまく発揮できるとはまったく思っていません。結果として、生徒たちは適切な外発的動機づけを切実に求めているにもかかわらず、教室の環境は正反対の方向に働いてしまいます。外側からさらに締めつけ、子どもたちの「有能感」を減少させ、教師との関係を悪化させるというのです。

 

 

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