私はオリンピックが大好きだ。実を言うと、私が観戦を楽しむ一番の理由は、選手がとてつもない偉業を達成するのを見るためではないし、世界最速の走りや最長のジャンプを目撃するチャンスだからでもない。私にとっての大きな魅力は、そこに映し出される選手たちの生々しい感情だ。 ゴールテープを切った女性アスリートの瞳に輝く純粋な喜び、表彰台にたつ競泳選手の頬を伝う歓喜の涙・・・・・・。 彼らの幸せは伝染していく。 画面に映った選手たちの顔をみていたら、あなたも自然に笑みをうかべるだろう。 どんなに冷徹な人の目も、勝者や敗者の涙につられて潤んでしまうかもしれない。 影響を与え合う最も強力な方法のひとつが、感情を用いる事だ。 アイデアを共有するには時間と認知的な努力を要することが多いが、感情の共有には時間も手間もかからない。 あなたが瞬時に労せず、たいていは無意識に得たその感情は、周囲の人々の感動に影響を及ぼし、周囲の人たちの感情もまた、あなたの感情に影響を及ぼす。 同僚、家族、友人、そして赤の他人までもが、あなたの状態を表情、声のトーン、態度、言葉使いの変化から速やかに感じ取る。 そして意識はせずとも、あなたが楽しければ周囲も楽しい気持ちになりやすく、あなたがイライラしていれば周囲もイライラするようになる。 私たちの脳が感情を素早く伝達し合うようにできているのは、周囲の環境に関する重要な情報を、感情が知らせてくれることがあるからだ。 たとえば、あなたが怖がっていることを察したら、私も怖さに敏感になり、周囲に危険がないかどうか目を配るようになるだろう。 これは私にとってもありがたい。 なぜならあなたが恐怖を感じるということは、恐怖を感じるべきことが近くにある可能性が高いからだ。 逆にあなたが喜んでいるのを察したら、私も喜びを感じやすくなり、何か良いものがないかと周囲に目を向けるようになる。   他人の喜び、痛み、苦しみを感じる能力はどうやら生まれ持ったものらしい。 もしもあなたに子供がいるなら、生まれたその日から親の感情の起伏がどれだけ子供に反映されるかを知って驚いたことがあるだろう。   感情の伝達はどのような仕組みになっているのだろう? あなたの笑顔がどうやって私たちの心に喜びを生み出し、あなたのしかめ面がどうやって私に怒りを覚えさせるのか? そこには主に二つの経路がある。 一つ目は無意識の模倣によるものだ。 人間が、他人の仕草、声色、表情を常にまねてしまうことはよく知られている。 これは反射的なもので、あなたが眉を少し上に動かせば私も同じようにしてしまいがちだし、あなたが息を弾ませていれば私の呼吸も速くなりやすい。 二つ目の経路は、模倣ではなく単に感情が刺激されたことに対する反応である。 これは至極単純だ。 誰かが怯えた顔をしているときは、多くの場合、何か恐ろしいものがあることを意味している。 だから私たちは、大きな斧を振りかざした人がこちらに突進してくるのを見た時のように、恐怖をもって対応する。
フェイスブックの実験
感情は誰かの行動を直接みていなくても伝播していくことがある。 それはソーシャルメディアへの投稿だ。 のちに悪評を招いたフェイスブックの実験を例にとってみよう。 2012年1月、フェイスブックは50万人を超えるユーザーのニュースフィードを操作し、あるユーザー群にはポジティブな投稿が、別のユーザー群にはネガティブな投稿が多く表示されるようにした。 フェイスブックの研究チームによると、人が抱き合っている画像など、ポジティブな投稿を多く読んだユーザーは、自分でも肯定的な投稿をすることが増えたという。 逆に、飲食店のサービスへの不満など、ネガティブな投稿をたくさん見たユーザーは、否定的な投稿をする傾向が高まった。 私たちは投稿した人の気持ちなど知る由もないのに、メッセージのポジティブさ、ネガティブさはネット上を急速に伝播していくらしい。 ただしこの実験は、フェイスブック側の事前告知がないまま実施されたため、憤慨したユーザーらの不評を買った。   自分が何かしらの気持ちを抱いただけで、人々の感情を変えられるという事実を、心にとめておくべきだろう。 同様に、他人の感情が私たちの気持ちを変える事もある。 私たちは常に相手と、そして周囲のすべての人々と互いに同期しあっているのだ。  
効果的に人の行動を変える方法とは
病気の蔓延、金銭上の損失、体重の増加、学業不振、地球温暖化を警告して人の行動を変えようとすることの難しさは、残念ながら、それらがすべて不確かな未来のムチだという点にある。 ICUの医療スタッフが手を洗わなくても、病気になるかもしれないのは数日後であって、いますぐではない。 サムの研究チームが取引先の事業予算を削減する方法を見つけられなくても、大金を失うのは今すぐではなく一か月後だ。 これらのムチが振るわれるのは将来の話で、遠い未来のこともある。 そして未来は、御承知のとおり、不確かだ。 医療スタッフが手洗いをさぼっても病気にならないかもしれないし、サムのチームが手をうたなくても取引先は提携を続けてくれるかもしれない。 問題は、「かもしれないという部分に存在する。」起こるか起こらないかわからないことのために人になにかをさせるのは至難の業だし、未来のムチを無視して「まずい習慣を続けたって平気」と自分に言い聞かせるのはいとも簡単だ。 だからこそ、いつか重大な損失を被るぞとおどすよりも、ささやかでも確かな報酬をただちに与える方が効果的なこともあるだろう。 たとえその警告が確実で差し迫っていたとしても(具体的なお仕置きや否定的なフィードバックなど)、御褒美が今すぐかならずもらえるという約束にはかなわない。 なぜなら脳のゴー回路は、快楽と行動を結び付けているからだ。   南アフリカの最大大手の保険会社「ディスカバリー」を例にとってみよう。 ディスカバリー社は、将来かかるかもしれない病気への不安を煽る代わりに、あるご褒美プログラムを開始した。 保険加入者は、スーパーで野菜や果物を買ったり、ジムへ行ったり、健康診断を受けたりすると、ただちにポイントを受け取ることができる。 溜まったポイントは、様々な商品の購入に使用することも可能だ。 このプログラムはきわめて効果的で、加入者はより健康的な生活を心がけるし、その結果病院にかかる回数も減る。 すなわち、双方にとってメリットがあるというわけだ。 しかし、ここで疑問が生じる。 警告や注意に限られた効果しかないとしたら、なぜ私たちは頻繁にムチを使って人の行動を変えようとするのだろう? すべてわかっているつもりの私でも、気が付けば学生たちに 「一生懸命勉強しないとまともな仕事につけないよ」と警告し、 「暖かいコートきないと風邪をひくよ」と娘に注意している。   本来ならば学生には 「がんばって勉強すれば良い論文が書けるし、最終的には素晴らしい職を得ることができますよ」と声をかけ、 娘には 「コートを着れば暖かくて気持ちいいし、元気いっぱいになってお友達の誕生パーティーにもいけるよ」といってあげるべきなのだろう。 こうした作業が難しいのは、私たちの脳が自動的に早送りボタンを押すようにできているからだ。 私たちが反射的に警告を発してしまうのは、人間の脳は悲惨な状態をイメージし不吉な予感を共有しようとする。 でもこれは間違ったやりかたなのかもしれない。 私たちは意識して、本能に打ち勝ち、事態を好転させるために必要なことを強調すべきなのだ。 この方法にはさらなる利点がある。 「従業員は必ず手を洗うこと」といった注意書きや警告は相手のコントロール感を阻害するが、成果をえるために必要なものをはっきり提示すると、コントロール感を増大させることができる。 もっと知るには・・・