ほとんどの人は学校教育で知性を伸ばし、勉学する姿勢を身につけます。しかし学校を卒業すると、多くの人は知性を磨く努力をやめてしまいます。
自分の専門外の分野の知識を広げようとせず、分析的に考えることもしなくなります。その代わりにテレビを見ているだけで満足していないでしょうか。
継続的に学ぶ事、知性を磨き広げていく努力をすることは、知的側面の最新再生には不可欠である。
学校に通うとか、体系的なプログラムを受講するなど、そとからの強制的な教育が必要な場合もあるだろうが、
たいていはそのようなものは不要である。主体的である人なら、自分の知性を磨く方法をいくらでも見つけられるであろう。
知性を鍛え、自分の頭の中のプログラムを客観的に見つめることはとても大切である。より大局的な問題や目的、
他者のパラダイムに照らして、自分の人生のプログラムを見つめなおす能力を伸ばすことこそ、教育の定義だと私は考えている。
このような教育もなく、ただ訓練を重ねるだけでは視野が狭くなり、その教訓をどのような目的で行うこ考えることができなくなる。
だから、いろいろな本を読み、偉人の言葉に接する事が大切なのだ。
日頃から知識を吸収して知性を広げていこうと思ったら、優れた文学を読む習慣を身に着けることにまさる方法はない。
読書を通じて、古今東西の偉大な知性に触れることができる。ぜひ一カ月に一冊のペースで読書を始めて欲しい。
それから二週間に一冊、一週間に一冊というようにペースを上げていくとよいだろう。
「本を読まないひとは、読めない人と何ら変わらない」のである。
優れた古典文学や自伝、文化的な視野を広げてくれる良質な雑誌、現代の多様な分野の書籍を読むことによって、
自分のパラダイムが広がり、知性の刃を研ぐことができる。
まず理解に徹しようと思いながら読めば、知性の刃はいっそう鋭くなる。
著者が言わんとしている事を理解しないうちに、自分の経験に照らして内容を判断してしまったら、
せっかくの読書の価値も半減してしまう。
文書を書くことも、知性の刃を研ぐ効果的な手段である。
考えた事や体験したこと、ひらめき、学んだことを日記に着ける事は、明確に考え、論理的に説明し、
効果的に理解できる能力に影響を与える。手紙を書く時も、ただ出来事を書き並べて表面的な話に終始するのではなく、
自分の内面の奥底にある考えや思いを文章で伝える努力をすることも、自分の考えを明確にし、相手からわかってもらえるように
論理的に述べる訓練になる。
一日の内わずか一時間を自分の内面を磨くことに使うだけで、私的成功という大きな価値と結果が得られるのである。
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