勉強と研究やはり繰り返しである。
勉強というのは他人が研究した結果を学ぶことで、
研究というのは他人が勉強可能な状態にしてあげることですね。
教科書を書く作業と、教科書を読む作業
勉強が教科書を読む作業で、研究は教科書を作る作業です。
それを交互にやることによって学問っていうか知識というのは広がっていくというのが一般的なエコスステムです。
こういった研究の手法は小学校で習わないんですよね。
今日教科書があるってことは教科書を作っている人いるんですよ。
教科書を書いてる人はどこで教科書を見つけてきたかというか研究して見つけたんですね。
21世紀的には、どっちもできないダメなんですよ。
みんな勉強ばっかしちゃいますよね。
何を勉強すべきかとか、他人がものをどうやって
学ぶべきは自分で研究するとよく分かりますからね。
時代性と読めないとね駄目なんですよ。研究するのって。
前の時代に研究を行った人がいて、いまやんないといけない事はなにかみたいなことを考えなきゃいけないんだけど
そこの距離感が研究のスタイルで1000人がどこまで行って自分がどこをやるかってことなんですよ。
昔からやられている研究に、今は直接コンピューターで計算できるようになったことを組み合わせて研究する。
その時代で時代時代でどういうオリジナリティだして作れるかというところが重要なんですね。
人類が昔からやってきていることに自分がどんだけ追加するかということを考えると
時代のこと分かってないとやっぱわかんないでしょうね。
時代性はサーベイから始まるんですね。
今の世の中がどんな風にみんなが見ているかっていうことを調べることで皆は何をしているかって考える重要なんですけど
今のネタと研究が被ってないか探すんじゃなくて、
先行研究と自分が目指したい方向のぼんやりしたところがあってどれが研究になるかなっていうのを考える。
まだ研究してないんだろうなーっていうのを考える作業がサーベイであって、
そのために今まであったものを置いていくのがサーベイですよ。
オリジナリティっていうのは自分がオリジナルかどうか調べることではなくて
今まで何をやられたかを知ってれば、オリジナルしか出てこなくなる。
研究の作法っていうのは勉強の裏返しなんですよ。
詳しくしるには・・・